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ハロウェル()は、アメリカ合衆国メイン州南西部のケネベック郡、ケネベック川の西岸に位置する市である。2010年の国勢調査では人口2,381 人だった。メイン州ではイーストポートに次いで2番目に人口の少ない市である。その文化と古い建築物で知られており、観光地として人気がある。州都オーガスタ小都市ニューイングランド市町地域に属している。 == 歴史 == ハロウェルは、ボストン市の商人であり、元々は1620年代に英王室によってプリマス会社に認められた土地所有者、すなわちケネベック領主の1人であるベンジャミン・ハロウェルにちなんでなづけられた。 最初に入植したのはディーコン・ピース・クラークであり、1762年春、妻と息子のピーターと共に、マサチューセッツのアトルボロから移ってきた。クラーク一家は現在のウォーター通りの近くでケネベック川の西岸に上陸した後、ひっくり返っていた荷車を雨除けにつかったという伝承がある。川に面した50ロッド (250 m) の土地で、トウモロコシ、ライ麦などの作物を栽培した。現在消防署が立っているこの土地が最初に開墾されたところである。 1797年、現在のオーガスタ市がハロウェルから分離して別の町ができた。現在のハロウェルの市域になっている場所は当時「ザ・フック」と呼ばれていた。今日、ハロウェルの人口は2,381 人であり、1820年時点の人口より僅かに少ない(1820年はメイン州がマサチューセッツ州から分離して州に昇格した年である)。この2世紀近く前の時点で、ウォーター通りには71の店舗が並んでいた。対照的にオーガスタは人口1,000人、商人の数はちょうど20人だった。この時代の産業は製材業、貿易業、出版業、造船業だった。ケネベック川の航行可能な場所にあり、1783年から1901年の間に50隻の船がハロウェルの桟橋から進水して大西洋に向かった。周辺住民の需要を満たすために製粉所2か所、製材所5か所、屠畜場2か所があった〔 〕。 1815年、マンチェスターの近くで最初の花崗岩が採石され、1908年までハロウェルを支えることになる産業の始まりを告げた。しかしその後は建築材料としてセメントが石材に取って代わった。1826年、製氷産業も熱心に始まり、その後の75年間、数千人を雇用した。ハロウェルのスクーナーに積まれた氷の塊が、キューバや西インド諸島まで運ばれた。その他にケネベック川を使って、1857年以降は鉄道で積み出されたものは、サンドペーパー、繊維、ロープ、アマニ油、油布、針金、本、靴があった〔Historical Sketch of Hallowell, Maine (1889) 〕。 ケネベック川がハロウェルの町の始まりから発展を支えてきたが、その力ある自然が恐怖を吹き込むこともあった。春の洪水は店の経営者を怖がらせ、商業が滞ることもあった。さらに悪いことは、市民が川を渡ることに熱心だったことであり、警戒心の無い子供たちがスケートをしたり、川岸から遠く離れたときに、見た目よりも氷が薄くて命を失うこともあった。寒さも様々な形で混乱をもたらした。1816年7月9日、「夏の無い年」に気まぐれな霜が作物を破壊し、作物の価値が半減したために、農民を飢えさせたので農地を半値で売らねばならないこともあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハロウェル (メイン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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